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三線の基礎
まず最初に、三線の各パーツについて勉強しましょう。
前川先生が、三線の各部分の名称についてご説明します。
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胴は、チーガとも称し普通、槙、竜眼、楠等を用います。
糸掛は、ムディと称し黒檀、紫檀、黒柿を用い、先の所を粗雑にしておいて調音の時にムディの戻るのを防ぎます。
上駒は、歌口と称し、弦の長さを定める上方の基点。普通は牛骨を用います。
駒は、ウマと称し、弦の長さを定める下方の基点。普通は竹を用いています。
作り方に功拙があって小さなウマが弦音に大きな影響を与えます。
爪は撥とも言い、普通は牛か山羊の角か象牙を用います。最近はいろいろな素材の爪があります。
三線の歴史
三線は沖縄音楽伴奏の主要な楽器であります。
またウチナーンチュの魂のふるさとの音色と言っても過言ではありません。
三味線を沖縄の方言(ウチナーグチ)、でサンシンと言います。
時々蛇皮線(ジャヒセン)と言う人もいますが、それはこの楽器が蛇皮を張られているのに起因していて、本土からの呼称と言えます。我々ウチナーンチュは決してそうは言いませんし、ここでも三線と表記してますのでサンシンと呼んで下さい。
では三線の元祖の地は何処でしょうか。
モノの本を繙いてみますと、弦楽器はエジプトで発祥し、それが西に伝わって弓で擦っててヴァイオリン類となり、東に伝わり、弓が爪または撥に変わったのが三線で、中国より琉球に渡り、そして琉球より日本へと流れて行ったと言われます。
本土への伝来は十六世紀中頃の永禄年間(1558年〜1559年)と言うのがほぼ定説です。
琉球への輸入の確固たる史料はなく、久米三十六姓の帰化した十四世紀末頃には輸入されていたと考えられています。 三線は舶来の輸入品でありますからそれが定着したのは名工南風原が首里王府の初代三線主取の役職に就いた十七世紀中頃のことです。
南風原の出現により、三線の規格も音色も郷土的色彩を濃厚にしました。
玉城朝薫が組踊を創作したのが1718年ですので三線の改良は、時代の要請であり、 国策でもあったと言えましょう。
三線の型
三線の改良の一番大きな特徴はと言うと、棹を短くした事です。
南風原の革命的改良の後、大別して構造上の代表的な四派が後世まで伝わり 現代の規格となっています。
(一)
南風原型
(フェーバル):天(ツラ)が偏平で荒作り。
(二)
知念大工
(チニンデーク):天の中央部が盛り上がって棹も太い。
(三)
真壁型
(マカビ):上記の二つに比べて棹が細く丸みを帯びています。
今日最も広く流布しているのがこの型です。
有名な開鐘の名の付く名器は皆この方に属しています。
尚家の五開鐘とは即ち、盛島開鐘・久田開鐘・城開鐘大宜味開鐘・アマダンジャ開鐘の五対で、
久田と大宜味の代わりに湧川・西平との説もあります。
(四)
与那城
(ユナー):真壁より棹が厚く月の輪と野(棹の平面)が直角をなしています。
鴨口与那城(カムグチュナー)や江戸与那城(エドユナー)などの名器があります。
三線の用材についてですが、最上の用材は黒檀(クロキ)で、桑、紫檀、イスノキ(ユシギ)、オオハマバオウ(ユーナ)と続くとの事です。
以上大急ぎで沖縄の三線についてクダクダと述べてきましたが、やはり三線は触れるもの弾くものです。
そして沖縄の三線は伴奏楽器であります。
唄に合わせて爪弾くものです。
唄心があって初めて三線なのです。
あねる木どやしが 三筋糸掛きて
弾きば悲しさん 月に流ち
(だだの棒切れなのに 三味の糸を掛けて
爪弾けば悲しさも 唄に消える
―「ナークニー」唄・嘉手苅林昌―)
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